【ブラック企業】論が流行っているので、書いてみる

medium_1161507336

photo credit: kevin dooley via photopin cc

ここ数年、ネット上ではブラック企業というのがネタのように書かれてきていましたが、去年くらいからマスメディアや、以下大手雑誌などでも【ブラック企業】を取り上げる記事が増えてきていると感じます。これに乗じて、自分も書いてみたいと思います。

そもそも、ブラック企業とは

実際に、様々なところでブラック企業については語られているものの、ブラック企業の定義は、働き手側の主観的な印象によるところも多いようですし、新卒の若い人からすると「サービス残業多い」「配属が希望通りにならない」といったところでもブラック企業と思われてしまったり、既に働いている社会人からすれば、ある程度の我慢はすべし、といった意見も多いようで、程度の問題だったりもして、語る人によって様々です。

「ブラック企業」が日本の若者を使いつぶす:日経ビジネスオンライン https://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121214/241015/?P=1

ブラック企業』(文春新書)の著書、今野晴貴氏によると、定義は「従業員に違法な働かせ方をする企業」とのこと。労働基準法などを守らないような会社や、従業員の人権を無視しているような会社が該当するようですが、反論としては、「労働基準法を守っていたら、今の会社経営が成り立たない。特に中小企業はつぶれてしまう。」といったような、理想と現実と間の議論となったりします。

作家 橘玲氏もネット上の連載で、日本にブラック企業がはびこる原因について考察しており、日本的経営が生み出した、ひとつの”功績”でもあると言っています。

[橘玲の日々刻々]ブラック企業をなくすには、日本の“イエ”文化を解体するしかない|橘玲の日々刻々 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン https://diamond.jp/articles/-/32845

労働者側の立場でブラック企業を考える

マクロ的に論じるか、ミクロおよび企業・経営組織論的に論じるか、個人の視点で論じるかで、切り口は変わってきますが、まずは個人の視点で考えてみたいと思います。

自分の前職は戦略コンサルタントでした。戦略コンサルタントと言うと、一見、スマートで華やかで、給与も高いイメージをもたれる方が多いかも知れませんが、それは意図して、そういう部分が表に出てきやすいだけであって、実態はいたって泥臭い仕事で、短期間で成果を求められるため、高い負荷をかけられますし、超長時間です。基本、裁量労働制という都合の良い制度で、働く時間は自由ですが、残業などの概念がない。一度の入院では落ちこぼれ、二度の入院で半人前、三回入院してようやく一人前なんて、表現しているコンサルの方もいらっしゃいました。また、外資系などではアップorアウトで、成果が出なければ、クビです。

おそらく、労働環境だけ見れば、コンサルはブラックと言われても仕方ないような労働環境だと思いますが、それでも、いまだに就職人気ランキングでも上位ですし、目指している方も多いでしょう。

それは、実態を分からずに表向きの給与の高さや、かっこよさみたいなものにひかれている部分もあるでしょう。時給換算したらマクドナルド以下なんてのは、ざらなんですけどね。

ただ、そうした実態も、だいぶ広く知れ渡っていると思うのですが、それでも比較的に人気が保たれているのは、そこに成長があるからではないかと思ってます。

過酷な労働環境において、ブラック企業か否かの判断基準は成長できるか、否か

過酷な労働環境の中で、自分を壊してしまうようでは元も子もないですが、ビジネスマンとして成長していく過程において、まったく負荷のない状態では、成長のしようがないでしょう。

所謂、逆にホワイト企業と呼ばれるような会社では、その負荷のバランスを上司がうまくコントロールして、成長を促してくれるということもあるかも知れません。それは、会社というよりも、上司の当たり外れにもよりますが。

コンサルタントのように、短期間での成長を求められる業種においては、一気に高い負荷をかけられます。中小企業などで、広く仕事をしなくてはならない、即戦力として期待されている場合なども同様かも知れません。そうした場合、確かに環境的にはブラックかもしれない、ただ、その先に、仕事人としての成長が見据えられるかどうか

同じ環境でも、それを見据えられる人とそうでない人がいると思うので、絶対的な定義ではないですが、個人の指針として、今いる会社がブラックなのか、そうでないのかの基準になるでしょう。いくら他人が自分のいる会社をブラックと評していようが、あなた自身がその職場において、成長を感じられて、未来を考えられるのであれば、良いのではないでしょうか。

『「やりがい」という名目で、従業員を搾取している』といった論調も確かにあります。社風などにもよりますが、強い社内風土や理念がある会社だと、ある意味、宗教的に、時には盲目的にそのような考えに誘導されてしまう場合もあるでしょうが、そのような時は、客観的な意見にも耳を傾けつつ、それでも自身の評価を大切にすべきであると考えます。

自身も、上述のコンサル時代は、ほとんど毎晩タクシー帰宅(しかも当然のように自腹)で、週末もほぼ仕事で、給与も決して高くない、環境的には正直かなりハードな時代でしたが、仕事を通じて成長を感じられた事が唯一にして、絶対の、その仕事に対する評価だったので、続けることが出来ました。

もちろん、家族を持つと、個人の成長だけを優先して、家族を犠牲にするにも限度があるので、そのあたりはバランスを考える必要があるでしょうが、最低限の生活が出来る経済的余裕があるならば、仕事を通じた成長が出来るか、否かを大切にすべきではないかと考えます。

もちろん、労働基準法をまったく守る気もなく、従業員を使い捨てにし、正社員というニンジンで、人質の如く、アルバイトよりも低賃金で使える人材としてしか見ていないような企業の存在を肯定する訳ではありません。理想論かもしれませんが、それくらいしないと、利益が出せないような会社は、それに見合う社会的な価値を見いだせていないものと考えます。(異常に搾取されている場合を除いて、回り回って、従業員がそれに見合う価値を生み出せていない、ということにもなったりしますが)

自分を壊してまで、働く必要はないと思うので、うまくバランスを取りながら、自身で道を切り開いていく以外に道はないでしょう。企業側への提言もしていく必要はあるでしょうが、労働者の立場としては、終身雇用も、年功序列も守れなくなった日本的経営においては、企業に依存しないスタンスを持ち続ける必要があると考えます。

コメント