【書評】なぜ働くのか、本気で考えたことがありますか?「なぜ、働くのか 生死を見据えた『仕事の思想』」田坂広志

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本書に最初に出会ったのは、2006年。社会人として3年目の時でした。

忙しい仕事・日常の中で、ふと立ち止まり、「なぜ働いているのか」を問い直す時、本書を何度か手にとってきました。

「なぜ働いているのか」と問う、のはどんな時か。3度の転職の際にも、改めて考え直しました。また、特にこの新社会人が目につく春先に、当時の事を思い出して、また考えるきっかけを与えられます。

2003年に大学を卒業し、社会人として10年。改めて読み直してみました、

「なぜ、働くのか」あなたは本気で考えたことがありますか?

本書は、田坂氏の田坂塾と呼ばれる講義を書き起こしたようなものになっており、語りかけるように書かれています。そのため、読むだけなら1時間もかからないで読み終える事ができますが、その一文一文を、噛みしめながら読み進める事が大切です。

「なぜ働くのか?」特に考えることもなく、当たり前のように大学に入り、就職し、働いている方もいるかも知れませんが、おそらく、就職活動の際には、一度は考えたのはでないでしょうか?しかし、現実の仕事の中で、押し寄せる仕事に、現実に流され、「なぜ働いているのか」を見失ってはいないでしょうか?今の会社に入って、今の仕事をしていてよかったのか、と迷い、戸惑うことはないでしょうか。

本書では、仕事に取り組むにあたって「思想」が必要である事を説いてます。思想とは、日々の現実に流されてしまわないための碇であると言います。

では、いかにして「思想」を身につけるのか。

本書では、次の「三つの原点」から、今行っている仕事を見つめることだと言います。3つとは「死生観」「世界観」「歴史観」

「死生観」とは、「生死」という深みにおいて観ることです。
「世界観」とは、「世界」という広さにおいて観ることです。
「歴史観」とは、「歴史」という流れにおいて観ることです。

まず、「死生観」について。経営の世界においてしばしば語られていた警句として、

経営者として成功するためには、「三つの体験」を持っていなければならぬ。
「投獄」「戦争」「大病」という体験の、いずれかを持っていなければならぬ。

というもの。この3つの体験が意味することは、「生きる死ぬ」の体験を持っているかということ。「生きる死ぬ」の体験の中で、精神が成熟し、自身の使命を見出すと言います。現代では、この3つの体験をすることは難しいでしょう。では、どうすれば、「死生観」を身につけることが出来るのか。

その一つの方法として、「想像力の極みで死と対峙すること」。文学や、映画、手記、報道でも良いので、そこから、自分ならばどうするのか、どう感じるのかを真剣に思う、ということを挙げています。

また、仏教学者の紀野一義師の話を挙げ、彼の行った修行を紹介しています。

それは、「明日、死ぬ」という修行です。

言えば、簡単で、誰でも出来る修行です。が、本気で、「明日、死ぬ」と思い、今日という1日を生き切ることが出来るのか、というと、実に難しい修行であると言えます。しかし、人間はいつかは死にます。いつ死ぬかは分からない。目に見えない砂時計の砂は、刻一刻と一粒一粒落ちている中、あと何粒残っているか分からない、本当に「明日、死ぬ」かも知れない。

では、どのように生きるか。そのことを考えることから原点が生まれてくるのです。
「思想」というものの、原点が生まれてくるのです。

「世界」という広さにおいて観る

みなさんは、「世界がもし100人の村だったら」という本をご存知でしょうか。2001年に出版された、当時の世界の統計情報を元に世界がもし100人の村だったら、何人がどのような境遇になるか、をわかりやすく記した本です。本書の中でもいくつか紹介されています。

「この村は、20人は栄養が十分ではなく、一人は死にそうなほどです。」
「すべての富のうち、6人が59%を持っていて、みんなアメリカ合衆国の人です。」
「村人のうち、1人が大学の教育を受け、2人がコンピュータを持っています。けれど、14人は文字が読めません。」

こうした数字を見た時に、何を思うのか。著者は言います。日本という国に生まれた時点で「エリート」であると。ここで言う「エリート」の定義は、次のような条件を満たしている人間を言っています。

第一に、半世紀以上も戦争のない平和な国に生まれ、
第二に、世界でも有数な経済的に豊かな国に生まれ、
第三に、大学などの高度な教育を受けることができ、
第四に、自分の力が生かせる職場で働くことができ、
第五に、生活するのに十分な給料を得ることができ、
第六に、五体が満足で、心身ともに健康が与えられ、
第七に、互いに支えあえる友人や仲間や、家族がいる。

なぜ、こうした条件を満たした人間が「エリート」なのか。それは、上述の数字のからも明らかなように、こうした条件を満たした人間はごく限られていて、「選ばれた人間」であると言います。

そして、エリートには「使命」があると言います。恵まれた境遇に生まれた「幸運」への「感謝」を持ち「使命」を自覚することによって、表さなければならない、と言います。それは、必ずしも大きな仕事である必要はなく、日々の仕事に心を込めて取り組むこと、そのことが大切であると言います。

そして、3つ目の原点「歴史」という流れにおいて観る、ということ。

それは、「人類の歴史」が、どこに向かうのかを考えるということです。
そして、そのうえで、「仕事の意味」を考えるということです。

原始共産制の時代から、今の情報化社会へと、過去の人類の歴史を学び、未来において、人類がどこに向かおうとしているのか。「人類の歴史」を学んだ上で、「人間の意味」を問う事が必要だと言います。生物がなぜ生まれ、人類がなぜ生まれ、文明がなぜ生まれたのか。

「宇宙の歴史」を見つめることなく、「人類の歴史」がどこに向かうのかを考えることはできない。そして、「人間の意味」を考えることなく、「仕事を意味」を知ることは出来ない。

だから、「歴史」という流れにおいて観ることが必要であると言います。

本書は、仕事の思想を持つことの大切さ、そして仕事の思想を持つために、必要な仕事の観かたを教えてくれます。

最後に、本書の中でも、もっとも心に残っている一節を紹介させてください。

「仕事の価値」というものは、規模の大小で決まるわけではない。
収益の多寡で決まるわけではない。

では、我々が、日々取り組むビジネスにおいて、その「仕事の価値」を定めるのは何か。

それは、実は、ただ一つのことなのです。

その人物が、何を見つめているか。

その仕事の彼方に何を見つめているか。

そのことなのです。

本書は、特に20代の仕事に取組み始めて、楽しくなってきている方や、30代であっても、ふと今の仕事に迷いを感じている方にとって、一つの考え方のきっかけを与えてくれるものだと思います。また、50代、60代と、経験を積み重ねてこられた方にとっても、これまでの仕事が果たしてどういった位置づけだったのか、それを踏まえて若い人に、どうこれらの問いに答えるのかを考える上で、参考になるのではないでしょうか。

自分が働く理由

本書は、これまで何度も読み直しては、思い直してきたりしてますが、正直まだ、自分でもその答えは見いだせていません。本書で言うように、問い続けることが重要なのだと思います。

おそらく、一度見つかったと思う答えでも、時が変わり、立ち場が変われば、おのずと答えも変わってくるのでしょう。例えば、わかりやすいところでは、家族を持つと、働くことの意義に大きな影響を与えます。

一つは、養っていかなければ、ならぬ。ということ。着の身着のまま、独り身で考える働く意義とは大きく異なってきます。良くも悪くも。また、経済的な側面だけでなく、子供にどんな姿(背中)を見せられるのか。とそんなことも考えてしまいます。

まだまだ幼い我が子ですが、子供から見た時に、「あんな大人になりたい」と、「早く大人になって働いてみたい」と思ってもらうことが出来るのか。そんなことを考えていると、「ただ、養うためだけに」「お金のためだけに」働くということで良いのか、と思いを巡らせるわけです。

家族と過ごす時間を削ってまで、働く理由とは何なのか。子供に「なんで、働いているの?」と聞かれて、堂々と答えられるのか。上述の、仕事の思想からすると、小さな話かも知れませんが、これもまた、ひとつの指針には違いないのではないかと思うのです。

街で見かける就活する大学生を見ながら、ふと毎年この時期になると、そんなことを考えます。

これから社会に出る新社会人に読んでもらいたい本

photo credit: Kasaa via photopin cc

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